
食べるものを作るということ
僕らがjamzIpをはじめたころ、両親が長野県に移住したのだ
喫茶店と畑をやっている
50代で移住して、もう二十数年
喫茶店で地元や全国を回っているシンガーがライブをやったり、写真や絵を展示したり
大学生と一緒に田んぼをやったり
目の回るような日々を送っていた両親も
今は、常連さん相手に15時まで店を開けて、あとは畑仕事
畑でとれたものを食べて寝る
静かな日々を送っている
農作業は、種植え前後と収穫に猛烈にやることが多いので
助っ人に行くのです

地球は、太陽の当たる場所があると、いろんな草を使わし、低木を使わし、次は陽樹、次は隠樹、最後のブナの森林になるまで、遷移を進めるのです
怪我したら、瘡蓋ができて、新しい皮膚ができるまで自動的に連鎖するのと同じ
そこで、人間が、あくまで自分たちの都合で、自分たちの欲しいものだけ、自分たちの欲しい量の作物を得よとする
というのは、最初から無理のある話なのですが
人間の大脳新皮質は、「なんかうまいことできへんやろか」っていろいろ思いついて、発明したり、編み出したりしてしまうので
地球の気遣いで、多少の無理をゆるしてもろて、作物を作らせてもろています
当然、やりすぎたら虫や、動物を使わして、是正したり、戒めてくれます
今年の夏はトウモロコシは全部、熊が食べて、じゃがいもは全部イノシシが食べました、がこれは、家賃ということですね
この土地は人間だけの土地じゃないので
人間がやりすぎたら、「そういう契約じゃないよね」って監査指導がくるのです
というわけで、秋の種まきの前は
もう、野生の王国になっているので
草を刈らせてもらうところから始めるのです
草を刈ったら、「自分たちの都合で非常に申し訳ないのですが、すこしだけお許しください」と
耕します
耕すのも本当は人の手でやらなフェアじゃないんやけど
人手も時間もないので(1反を半日)
人間の都合100%でトラクター使って一気に耕しちゃいます

耕したら、「申し訳ないのですが、この場所だけ、他の草を生やさんといてほしいのです、勝手なお願いで申し訳ありません」と
穴が空いたビニールのフィルムを土に被せるのです

このフィルムは「マルチ」って言います
穴に苗を植えたり、種を蒔くのです
このマルチを敷く機械もあるんやけど、壊れてて
手で敷いてくのです。
スコップで両端の土を掘って埋めていく、ひゃーー
この畑の規模で、手作業でマルチ敷いているのうちだけやねんてー
もう執念
埋めるのが弱いと、強風でマルチが飛んでいくので油断ならんのです
しかも、真っ直ぐ敷いていくのも難しいし、地面が水平ではない(トラクターの水平維持装置がずれている)ので、都度、土を掘って、盛って、水平出しながら
黙々と進めていくのです
これで
ようやく次の植え付けの準備ができたのです
ここには、白菜と大根を植えるねんて
マルチを敷きながら
普段、遠く離れて暮らす母ちゃんと
いろんなことを話したんだよ
はっとした
その中で、はっとしたのです
ここは、石がたくさん出てくる、でも、とても土が良くてなんでも育つ
それは、最初石だらけで、農作物を育てるのに全く向かなかった場所を
先人が開墾して、何世代も時間をかけて、土を作ってきてくれたから
それを次につなげんとあかん
という母ちゃんの言葉
もちらん、神戸からやってきたので、先人と血縁もないし、繋がりもない
でも、この畑が、いろんな野菜をもたらしてくれるのは
先人の、何世代にもわたる時間のおかげなんだね
その先人の時間と、今、こうやって地面に這いつくばって農作業した人の時間の上に
スーパーで並んでる野菜がある
なんでも、時間軸から切り離されて
ぱっと現れているものって
ないからね
そう考えると
口に入るものを作ったり、獲ったりする仕事
これが本当の、本質的な意味での仕事なんやなー
何をやってても、食わんと生きていけんからね
お金がいくらあっても、お金は食べられへんからね
だから、それ以外の仕事は全部
「誰かに食わせていただいた上で成り立っている」
という意味では
乞食なのやということがわかりました
僕が現在、行きがかり場生業にしているIT関係の仕事(web制作会社のシステムエンジニア)や、音楽を作ったり、演奏したりっていう仕事なんて
最たるものやね
ええっかっこしーの乞食です
都市は農村に食わせてもらっているのです
自分たちだけでは、何もできないのです
いくらお金があっても
食べるものを作る人、獲る人がいないと
一日たりともいきていけないのです
半人前なのです
あたりまえが、あたりまえであるのには
先人からの積み重ねがあるからなのですね
そのことを、忘れたらあかんと
ほんまに思いました
そして
その第一次産業に携わる人の平均年齢が70歳を超えていることを
へーーーーーーって見ていたら
えらいことになるって
わかっていても
日々の生活の中で
やっぱり食べるものはスーパーに買いに行き
手に取る食材の、店頭に並ぶまでに至るまでよりも
値段と質のことしか
考えてない
だから、こうやって強制的に
農作業を手伝うという
状況に身を置けるなら
置いた方が
見える景色や、感じることがありますね
「自分と家族の食べる分は、自分で作る」
それは、仕事や職業と呼ばれるもの以前の、生きていく原点で
感情とか、やりがいとか、いきがい以前に
「生きる」とイコールなもの
なのですね
食べ物を作ったり、獲ったりして
それを、家族や人と分けることで得られる
満足感
日本人は「自分だけが独り占めする」よりも「人と分けること」で
脳内にドーパミンが分泌されるような生活を
1万7千年ぐらい、やってきているのではないでしょうか
だから、西洋における「皇帝」は、奴隷の頂点にいるけど
日本の「天皇」は、自らが田植えをして働く、奴隷を必要としない社会だったのですね
「作ってわける満足感」は「ちっぽけな自分の時間が、たくさんの人の時間の一部になる」っていう感覚
そこが、都市と農村にわかれることで、「経済」が発展した結果
ごそっとぬけているから
僕らは、モノや情報に溢れても不安で、空虚であるのではないでしょうか
土を触る
そこから
まず、そこから