恩師の話。長生きは目的ではないが、伏線回収を見届けることはできる。

makotoのブログアイコン
マコトノトコノマ

先日、高校の同窓会にいってきました

わたくしの同年代は、立派な人がいて

「担任の先生も集まれる最後のタイミングかもしれない」と、こういう会を企画して奔走してくれたお陰なのです

一堂に会する会に参加したのは初めてで、

高校卒業以来やから30数年ぶり

30年ぶりの同窓生との再会と同じぐらい

とって大きな意味があったのが

高校2年と3年の担任、本庄先生にお礼を言うことだった

遅刻皆勤賞、テストはオール赤点ぎりぎり….とても、褒められた生徒ではなかったのだ

「高校にはいかない、行く意味がわからない、アメリカに行ってマウンテンバイクのプロになる」

と、中3の夏休み明けの三者面談で言い放った記憶があるのです。

小学校6年生の時、12年間貯め続けたお年玉でマウンテンバイクを買って

楽しくて、楽しくて、中学になっても部活以外はマウンテンバイクで摩耶山と六甲山を駆け巡りすぎ

大人に混じってレースにも出て、たまに勝ったりして、

マウンテンバイクのチームに入って、部品の供給とか、レースへの参戦のサポートとか

受けれるようになっていたので、すっかりのぼせ上がり、

周りの大人を心配のどん底にたたき落としてしまっていた中3の秋

友達の付き合いで、高校見学について行ってしまったのですよ

「けっ、高校なんて、やることが決まってない怠け者のいくとこじゃい!」

と、鼻息荒く門をくぐったら

そこには、圧倒的な眩いばかりの青春の風景が鎮座していたのです

あーーー このお兄さんとお姉さんが繰り出す青春の世界を目の前に

自分はここに飛び込んだほうがいいのではないか

かっこつけず、単純に言うと「ひょっとして、ここに来たら彼女ができるのではないか」

という情報の洪水に

中三思春期男子の脳みそは簡単にハッキングされ

11月の最終進路決定三者面談で

「やっぱり…高校行きます、葺合高校にいきますぅ」

とのたまってしまったの

そこからモーレツに頭がおかしくなったように受験勉強して、高校に行ったもんだから

つまり動機が不純なので(しかし、思春期男子としては、生物学的に正しく最強な動機、自分が親になってみて改めて実感)

高校に入ったら

まー勉強しないしない

ちょうど高校も、その学区の序列で上から3番目の普通科の高校だったので

進学校でもなく、就職する学校でもなく

先生も生徒も

「今を楽しむ」みたいな空気だったのが功を奏し(バブル弾けてたとはいえ、先人の遺産で日本がまだまだ強い状況やったからなのですね、今思えば)

そのまんま、今を楽しんでおったのです。

マウンテンバイクに加え、

バンドやったり、登山とスキー(モーグル)にも目覚めてしまったので、信州通いするための資金を稼ぐために、平日は夜までバイトに明け暮れ

高校生活は、

遅刻の皆勤賞、当時遅刻指導と言って遅刻常習犯は月末に柔道場に集められ1時間正座させられるんやけど、そっちの方の皆勤賞で

授業中は居眠り、起きていても全く別のことを熱心にやっていたりで

先生の手持ちの分厚いもので頭をはたかれたり

テストは赤点(30点以下)か、赤点ぎりぎり

しかも、100点とっても31点とっても、進級できるという点では同じやったら、高得点を取るのに時間を割くよりも、「今しかできんことに時間を使うほうが、よっぽど有意義である」という、謎の理論で武装していたので

計画的赤点ギリギリマン

であるにもかかわらず

高校2年と3年を担任してくれた本庄先生は

なぜか、そんなわたくしを目にかけてくれたのです

2年生の一学期から

「井村は学級委員長やれ」

普通、立候補募ったりとか、推薦したりとかで決まるであろう学級委員長を「先生の鶴の一声」をやることになり(結局卒業まで)

しかし、授業中は居眠りするので

わたくしだけ、教卓の目の前の席が指定席で席替えの権利なし

みたいな

持ち上げられているのか、下げられているのかよくわかんなー

テストの点は誰よりも低く授業中は寝ているのだが

なぜか、先生ご指名の学級委員長

んーーー

なぜだ

しかし、

「どーしても皆んなに伝えたいことがあるから、先生、1時間時間をくれ」といったら、授業時間を、わたくしの演説のために使わせてくれたり(何を話したのか忘れた)

山登りとスキーのためにバイトしていることを、黙認してくれていたり(バイトは校則で禁止)

長い休みや、週休2日明けの月曜日は、前日の信州からの夜行電車明けにするので、でかいザックやスキーごと登校することを、面白がってくれたり


高三の時から始まる、進路指導が

なぜかわたくしだけ

「井村は進路指導やらんでええやろ、山かスキーやろ」

みたいな感じで

「勉強しろモード」や「おまえどうやって生きていくねん」を一切出さなかったり

学業的には客観的に言えば、落ちこぼれているはずなのに

本庄先生は、僕をずーっと学級委員長に指名し、なんか存在を認めてくれていたんだよね

なんでやったんやろうか

本庄先生のたった一言のお陰で、今があるのです

そして高校3年生、最後の文化祭が終わったあたりの10月
「ワーキングホリデーとやらで、カナダに行ってスキーのガイドの仕事をする」
と、進路調査票に書き殴り
今思えばマジで、それでええんかとツッコミどころ満載の方向に、大真面目に行こうとしていたのですが

その年の10月は確か暑かったと記憶していて
うちの高校は、「進路指導室」が唯一、生徒が入れるクーラーが効いた涼しい部屋
だったので
喫茶店で休憩するみたいな気軽さで
とりあえず家帰る前に涼んで行く場所「進路指導室」にその日も寄りまして

一応、進路に悩み、進学先を調べるフリをしないといけないので
偶然
「信州大学農学部森林化学科」のパンフレットを手にしたのです
なんでか、そのパンフレットを見ないといけない気がして
ペラペラめくっていると
雷に打たれたように、突然

「おまえは、信州大学農学部森林科学科に行かねばならない、そこで会わないといけない人たちがいる」
という、声が聞こえた、というか、とても具体的な未来の図、みたいなのが
頭の中にばーーーーっと広がってしまって

そして、その状態が、家に帰っても消えず、何日もその状態になっちゃって

「これは、ほんまに行った方がいいのではないやろか」
「しかし、高校三年間、進級ギリギリの点数と勉強しかしてこなかったわたくしが、はたして思いつきで行けるようなところなのであろうか?」

と、友達数人に聞いてみたところ
「どー考えても無理やろ、浪人せんと行けんやろ、今、何月やとおもてるねん!」
と、異口同音に激しく言われてしまい
んーーーーん、そうなるよなぁ

でも見えるんやなー「ここ行ったら、こんな人らと出会って、こんなことをやって」

さーどーしましょー
と、今でも鮮明に覚えている、高三最後の進路確定三者面談
廊下で母親と待っていて(この時、母親に信大のことは話していなかったのではないかなぁ)
さぁいよいよ、教室に入って
本庄先生が
「進路は最終的に、どうされますか?」と口火を切った時

もう、これはいよいよやるしかない、言っちゃうしかない
「ややややっぱし大学を受験します。信州大学農学部森林科学科です!」
と、言っちゃったのですね

そしたら、担任もうちの母親も、
コントみたいに、ええええーーーーーって
なっちゃって

でも、本庄先生なんか、すごい嬉しそうな顔をしとったんよね

そんで

「国公立ですかー。全国一斉模試(学校から強制的に受けろと言われたやつ、当然なんも勉強せずに受けたやつ)の結果は、国公立の一次試験合格判定はD判定(つまり、箸にも棒にもかからん判定)ですが…
ですが…
井村くんは、点数とれてないのは勉強してないだけですからね。
やったらできると、僕は思ってますよ」

と衝撃的な発言をしてくれたのです
何の根拠があるのか、皆目見当がつかいのやけれど
確信をもって自信満々に言い放ったのです

その時、ぱちーーーんって
何かのスイッチが入ったんやね
入ってしまったのです

そうかー、俺はやってないからできへんかっただけで
やったらできるのかもしれへんのかー
そうかー、そうかー
先生がそう言うなら、じゃぁやってみるか

この本庄先生のたった一言で
僕は、催眠術にかけられたかのように
高3の10月の終わりから

狂ったように受験勉強というやつをはじめたのです
どれぐらい狂っていたかと言うと
朝2時起きして、7時までひたすらセンター試験の過去問を解き
遅刻以外したことなかったのに、朝一番に教室に行って過去問を解き
授業が終わったら、教室は寒いので、当時本庄先生の他に、なんか僕のことを理解してくれていた生物の先生のいる理科室の準備室に行き、先生の帰る時間まで勉強させてもらい
家帰って、飯食って風呂入って9時に寝て
みたいな、それまでと真逆の3ヶ月を過ごしたのですね

それまで、勉強やってこなかったツケは相当厳しく
何度も絶望しかけたのですが

ただひたすら、本庄先生の自信に満ちた表情から放たれた

「やってないだけですよ、やったらできますよ」
の言葉を繰り返し繰り返しつぶやいて

そして、いろんな運もかさなって、信大に行くことになるのですね

本庄先生の一言が、奇跡を起こしたのです


誰もやったことがないけど、やる以外に選択肢がないことがなぜか多いのです。その度に本庄先生がかけてくれた言葉を思い出してきたのです

大学に入ってからが実は大変なことの連続で、
それはまた、別の機会に書くとして

卒業後、社会という荒れ狂う海に出たら
生きることそのものの大変さを、骨身にしみて勉強させられる
本物の授業が始まり
今もまさに授業中なわけですが

それまでの経験や知識なんて
なーーーーーーーんの役にも立たんもんねー
でも、できないってことは、ありえないからねー
という、事態に陥ることが
どうやら、多く起こるのが、わたくしの人生の設定のようで
その都度
本庄先生のあの言葉と、
それに焚き付けられて、モーレツにやった数ヶ月のことを思い出して
なんとか、いつもギリギリでなんとかなって
今日に至るのです

そう、

そのお礼を、本庄先生にいいたかったのですよ

そして、30数年ぶりに
定年退職間際の白髪の本庄先生に
28歳の本庄先生のあの言葉のおかげて
今日の自分があり、家族があり、jamzIpもあります
本当にありがとうございましたと
伝えることができたのです

先生えらい喜んでくれて
ほんまよかった
そして、ずーーーと気にしてくれてたみたいで

しかし、あの三者面談のこと、先生の一言について

「えーーーそんなこと言ったっけなぁ、でも気が狂ったように勉強し出したもんなぁ」
やってー

先生と生徒
この関係性において
先生の一言は
生徒の人生にあとからわかる膨大な伏線を記すことになるんやね

大人と子供もそう

下の世代が、同じ空間におったら
自分の行いや言動が
膨大な伏線を生む可能性があること
そうやって
今、この瞬間が
未来に影響を与えている
ということ
知りました

齢を重ねるとは
下の世代が増えるということなので
どんどん、油断ならなくなりますなぁ
でも
自分の蒔いた種が
いろんな場所で花を咲かせることを
見ることができるやね

最後まで油断ならんですぞ


New Live

11/29 11/30 イベントフライヤー画像「おとなの文化祭」 in polarisデリカテッセン Polaris [兵庫県神戸市] 開演11:00終演19:00出演者睡蓮/スミフジオ/VO/GO/松岡葉子/jamzIp出店者polaris(フードドリンク)/kobe3curry(薬膳キーマカレー)/お針子かふぇ(スイーツ&フード)/qoo(気分が上がる痛くないターバン販売&qooの旅する星詠み)/自由カフェ(珈琲) 詳細

New Releases